『日本姓氏紋章総覧』(歴史読本別冊 1989年)によると、二宮という姓は「相模国余綾郡二宮邑より起こる桓武平氏三浦族。また甲斐国八代郡小石和筋二ノ宮に起こる清和源氏武田氏族。著名な二宮尊徳は、伊豆の名族、伊東氏一族の末。」とあります。
「私の祖父は二宮正忠と申します。愛媛県西宇和郡の出身です。祖父の父は(西宇和郡伊方町三崎で)二宮病院をやっててお医者様だったと聞いてます。 病院は曾祖父(の二宮忠直)が早く亡くなり、曾祖父の弟(である正直)が継いだと聞いております。曾祖母は家を出され、祖父は不遇の少年時代を送ったようです。 祖父は若い頃に九州に出て来て、亡くなるまで九州に居ました。祖父は二宮家の直系の長男だと聞いてます。その頃は家系になど興味が無かったので、しっかり聞いておけばよかったのですが、祖父も亡くなり、自分のルーツが分かればと思いメールさせて頂きました。」
祖父の二宮幸雄さんが1954年にブラジルに移住。高松市の出身のようだが移住する直前は愛媛県に住んでいたようです。幸雄さんは博士号を持っていたか、あるいは医師だったようです。幸雄さんの父の名前はイチタロウ。ガブリエルさんは自分の親戚などを捜してますので、ご存知の方あればこのページの右上CONTACTからご連絡ください。
「静岡市の有東で幼少期過ごしました。良く向かいの八幡山城址公園で遊んだ記憶があります。 祖父は泉町で小さな不動産屋を営んでいたと聞いた事があります。先祖様のお墓は静岡市葵区沓谷の菩提樹院にあります。 家紋は丸に木瓜です。」
「祖父が愛媛県宇和島出身。明治時代(日露戦争の頃)祖父は獣医(馬)として、戦争に行きました。その頃、北海道に渡ったと思われます。」
「私自身は、埼玉県の秩父出身ですが祖父は宮大工をしていました。 祖父の父は京都で刀鍛治をしていたと聞いています。二宮忠八は愛媛県八幡浜から京都に移り住んだ経緯もあり、そのような縁があったのではないかと思います。 古くから秩父地方で二ノ宮姓を名の人は血縁関係者になります。」
「私の地元では、同じ名前の人は、居ません。二ノ宮を、持つ人は、私の、身内だけですネ!二宮の人は、地元に数名みえます。」
「神奈川県横須賀市出身の二宮直樹(にのみや なおき)S49生まれです。
私の祖母から聞いた話だと、私の4代前ぐらいは、神奈川県中郡二宮町に在住だったそうです。」
「先祖は300年くらい前に、静岡より山内一豊のお付きの武士で高知に来たと聞いています。
高知には二宮姓は少なく(私の周りだけかも!?)、同じ名字の人に会ったことは1縲鰀2度しかありません。
そして高知の二宮さんは、ほとんど愛媛県出身だそうです(愛媛県は二宮さんが全国一多いそうですね)。
静岡県の二宮さんがいらっしゃったら、お話をお伺いしてみたいです。」
「出身は愛媛県西宇和郡保内町(数年前合併し、現在は八幡浜市保内町)・東京在住の23歳です。
二宮姓で有名な方だとスポーツライターの清純さん、空手家の城光さんが八幡浜市出身です。
ちなみに上記の城光さんとは曾祖父が兄弟だと聞いています。
また、中学生の時は学年で68人中11人が二宮姓でしたが、その中には城光さんの姪もいました。
そして東京で旧姓が二宮だという方にあいましたが、その方の父親も出身が愛媛だそうです。」
「私の村(40戸)では23戸が二宮です。ルーツは住んでいる伊香郡の中心神社伊香具神社の2番目の娘が私の村のお宮さんとなったとか(?)」
「私、二宮敏郎と申します。愛媛県西宇和郡保内町出身です。 今は、大阪に在住しています。 私も自分の起源を知りたくメールしました。 全国の二宮さんの仲間になりたく思います。 どうぞ宜しくお願いします。」
「現在は大阪府富田林在住ですが、出身は愛媛県八幡浜市、年齢は54歳です。
子供の頃、手にしもやけができると祖父さんが、「これは
忠八さんに教わった薬だ...」と言って、塗ってくれました
が、本当かどうかは分かりません。母親の話では血縁関係
は無いけど、親戚のではあるとか。
子供の頃遠足で、表札を見ながら何の姓が一番多いかと
数えた事を思い出しますが、二宮と菊池がダントツで多かっ
たことを覚えています。」
「私は、愛媛県の八幡浜市日土町(やわたはまし ひづちちょう)という所に住んで
いて、特産のみかんを作っています。
町内には、「二宮」という姓の人がたくさんいます。家の近所も二宮ばっかりです。」
「愛媛県出身です。愛媛県の南宇和郡というところの出身ですが、大昔、
曾祖母に聞いたところ二宮の祖先は宮崎の日向からこの地に移り住んだとのことです。
…
実は、私は現在は宮城県の仙台に住んでいるんです。
7年前に埼玉から転勤でこの地に来ましたが、移り住んで
まだ2週間目ぐらいの時、たまたま車で事故にあってしまいました。
その時の相手の人がまた、たまたま「二宮」だったんですよ。
その人に「この辺には二宮性は多いんですか」と聞いてみましたが、
「けっこういますよ。」とのことでした。びっくりしましたよ。」
「なんとなく二宮金次郎に一文字違うだけですおかげで金ちゃんって呼ばれています 東京渋谷区の原宿に住んでます。親父は愛媛県 八幡浜の出身です。親父の親父は二宮忠八さんとは従兄弟かも????? 息子はハンググライダーに凝ってます。血かな!!」
「自分の先祖を調べるにはどうすればいいのか探っていたところ、偶然このウェブペー
ジにたどり着きました。二宮という姓は愛媛県がからむことが多いようですね。何よ
りもこのサイトを管理されている二宮功さんは宇和町出身でいらっしゃるんですね!
自己紹介が遅れましたが、宇和町出身で23歳、現在大学生で仙台に住んでいます。」
「私は、新潟県新潟市に住んでいます。
本家は新潟県五泉市という所で、建替える時に200縲鰀300年位前の家だというのを聞いた覚えがあります。ルーツはわかりませんが、本家の周辺には二宮姓は十数軒あるようです。」
「出身は愛媛県松山市です。現在は茨城県に在住しています。
私の祖父は愛媛県西宇和郡瀬戸町出身でした。若いときに松山市に出てきたようです。私自身は一度だけ瀬戸町を訪ねたことがあります。確か祖父の弟一家は二宮姓でしたが、瀬戸町にも他には二宮姓は多くなかったように思います。
茨城県では滅多に二宮姓に出会いませんが、たまにあうと父方が愛媛県出身という方が多かったように思います。私の実家は、祖父には男子が少なかったせいでしょうか、現在は父と私ども子供だけが二宮姓になっております。
こんな縁で、現在は音信不通となっている祖父の血縁の二宮さんに出会えるといいなあなどと、夢でしょうね。」
「>σ(^^)の家は桓武平氏の家系で壇ノ浦の合戦後落ち延びてきた一族と伝えられており、本家には家系図も残されています。
郷土史の編纂ということで私の中学時代の師がいろいろとお調べくださりそれによると宮をお守りするために仕えていた平家筋の一門(平氏の傍流)合戦後、現在の大分県杵築市守江港より高熊山の奥深く、杵築市と大田村の境に隠れ帰農し今に至るとのことで我が家は4代前からさらにその分家筋にあたるものですね。ちなみに本家は杵築市の二の坂というところにありますが、現代嫡子不在で絶えてしまいそうです。
3年前島根県江津市二宮町、というところを知りなにやら自分のルーツをたどってみたく好奇心にかられるものも中々時間もとれず今にいたるといったところでしょうか。確かに杵築、国東、山香地区に一族が分布してます。」
「はじめまして、二宮 聡(さとし)と申します。祖父の代から、北九州市に住んでいます。それ以前は、愛媛県に土着していたとのこと。嘘か本当か、二宮敬作とどっかで繋がっているそうです。四国には、二宮姓が多いそうですね。」
「こんにちは。東京都の保谷市に住んでいる二宮信平と申します。私の家系のルーツはあまりよくわからないのですが、祖父は神奈川県の足柄下郡生まれです。かの有名な二宮二宮尊徳は足柄上郡の人ですから、もしかしたら近いかも知れません。大学の友達に二宮君が一人いるのですが、その人の家系は明智光秀がどうのこうのと言ってました。大学の学生課にも二宮さんがいて、その人の家系は愛媛の出だといってました。二宮姓のルーツについて特に足柄地方の二宮さんについて教えてもらいたいです。」
「はじめまして、二宮 嘉人(にのみやかひと)と申します。茨城県の水戸市の
出身です。私の家のルーツについては多少曖昧な部分もありますが、父の話では
もとは清和源氏の出であるとのことです。家に残る家系図などによると源氏から
武田が分かれ、さらにそこから二宮が分かれたことになっております。今の土地
にいつごろから住むようになったのかは分かりません。それ以前のこともよく分
かりませんが、武田から分かれたところを見ると、甲斐国八代郡に何らかの関わ
りがあるのかもしれません。
さらに、私の家は代々神社の神主の家系でもあります。二ノ宮とは元々は神社
の格式で一ノ宮に次ぐものということですが、私の家はまさしくその神社の神主
の系譜をたどっております。小さな神社(吉田神社といってヤマトタケルノミコ
トをまつっています)ではありますが、少なくとも300年以上はこの仕事を受
け継いできております。ちなみに、嘉人という私の名は珍しい名だと思います
が、私の家ではこの「嘉」の一字を代々ほとんどの男子の名に使ってまいりまし
た。父は嘉城、兄は嘉秀です。他に父の兄弟や祖父はもちろん、親戚のなかにも
この字を使っている者が数多くおります。ただ、なぜ「嘉」にこだわるのかは全
く不明です。
私自身、自分のルーツにはとても興味があるのですが、私の家ではルーツを調
べようとすると早死にするという言い伝えのようなものがあって、思うように調
査することができません。そのため、私自身はあまり二宮のルーツについて詳し
くないので、詳しくご存知の方がいらっしゃったら是非お教え願いたいと思いま
す。」
「私の祖先は曾祖父までしか知りませんが、福岡県田川郡赤池町の出身です。しかし、町内には二宮姓は親戚でけで1軒しかいません。たぶん、その土地の人間ではなく、よその地域から流れてきたのではないかと思います。福岡県では二宮姓はあまり見かけません。(モントリオールオリンピックの柔道で優勝した二宮さんは福岡市の人です)ご存知とは思いますが、九州では大分県に二宮姓が多いようです。いつの日か、自分のルーツを探ってみたいと思っています。もしかしたら、あなたと遠い親戚だったりして。九州の二宮姓のことでなにかご存知のことがあれば、ぜひお教えください。
「私は山梨県西八代郡下部町に住んでいます。先祖は明治の頃まではわかっていますが、その先は不明です。私の住んでいる地区には二宮姓が数軒ありますが、そのルーツは分かっていません。そのため二宮生夫さんの仮説に山梨が登場したことが大変興味深いです。ご迷惑でなかったら、二宮生夫さん、詳しく教えていただきたいです。また、新潟県の柏崎市で二宮と書いてフタミヤと読む方にお会いしたことがあり、その方の話では約300年前?に山梨から移住したとお寺の過去帳にあったとのことでした。
以前から、なぜ二宮姓なのか疑問に感じていました。なんとなく楽しくなってメールを送らせていただきます。全国の二宮さんよろしく!!」
「もともとは八幡浜の人間で、かの二宮 忠八翁は私の曾叔父に当たる人で、私の祖父の育ての親に当たる人でもあるそうです。私のホームページで”二宮忠八伝記”なるものを作成しようと思い立ちました。」
「私は愛媛県松山市に住んで12年になりますが、私のルーツである岐阜県と第二のふるさとである愛媛県の南予地方に共通して二宮姓が多いことに興味をもっておりました。両地方を結びつける共通点という視点から,いろいろしらべておりましたところ、てがかりの一つとして以下のことがみつかりました。
伊豫国大洲藩主である加藤氏の藩祖加藤光泰が,美濃国厚見郡今泉村橋詰庄(現在の岐阜県美濃加茂市周辺と思われる)の出身だったのです。光泰ははじめ織田信長に仕えますが,その後豊臣秀吉に仕え、近江高島城主を経て甲斐国に封ぜられました。光泰は朝鮮役で没しますが,その子貞泰が美濃国黒野,伯老国米子を経て元和3年(1617)に伊豫国大洲に封ぜられました。以後明治の版籍奉還まで加藤氏が大洲藩主となります。したがって加藤氏の家臣団の中に二宮という氏の者があり,その子孫や縁者が二宮姓としてひろがったという可能性があります。もしこの仮説が正しければ、山梨県や鳥取県米子市付近にも二宮姓が多い地域があるかもしれません。しかし、この仮説は両地域の共通点ということだけからの推定ですので正しい可能性は低いかもしれません。」