本日の「ながれやま朝日」は、ついに3月で終了することを発表している。
この場や、「流山発 ちょっと気になるWeblog」で出ていた声が届いていたのか分からないし、流山市と流山新聞社の間で話し合いがあったのかも分からないが、とても残念な結果になってしまった。
「ながれやま朝日」は、最近では流山線従業員や歴史を連載していて流山線をより身近に感じさせてくれる機会を与えてくれた、江戸川台商店街は住んでいる所からは遠いが、どういう店があって、どのようなセールをしているのかを知ることができた。その他、市民に伝えてくれた情報は膨大である。
「流山情報ステーション」というメーリングリストは現在約50名ほど参加して、いわば流山のオンラインコミュニティを形成しているが、このグループを知り参加するきっかけは「ながれやま朝日」での紹介だった。流山市に転入してきて右も左も分からない状態から、流山に関してこのblogを書くまでになったのも、言わば「ながれやま朝日」さんのおかげである。
流山市行政が市民サービスを充実させようということで、あるいはコストを費用に帰る努力をすることになんら反対はしないが、こういった影響を与えてしまったということは、重大に受け止めるべきである。
「広報ながれやま」に広告を掲載するということが、広告主の取り合いになり、結果としてミニコミ紙と競合することになることは容易に考えられることだ。一つの施策がどのようなことをもたらすのか慎重に検討することを望む。行政からだけの議論で足りないのであれば、市民を使いなさい。市のオフィシャルサイトに広告を張るくらいインターネットを積極的に活用する姿勢があるなら、市民をインターネットで募り、施策に対する意見を臨機応変にすいあげるオンライン諮問委員会のようなことをやってっもいいじゃないでしょうか。独りよがりで稚拙な施策は許せない。
私も「ながれやま朝日の社告」を読みました。突然の廃刊は残念です。社告では「厳しい景気動向の中、地域メディアを取り巻く環境は大きく変わりました。弊社では発信基地としての役割を維持することが困難となり、その使命を一応終了したものと考えました。」と述べられています。
私なりに解釈して読み換えると「スポンサーが少なくなり、メディアの媒体として古くなったので、これ以上続けることは出来ないので、役目は一応終わった。」と読めます。
一応というのだから、本当にそうは思ってはいないんでしょう? これまでの情報発信に対する自負はあると思うし、廃刊せざるを得ない状況に疑問を感じているはずです。経営を維持できなくなったのは、市の有料広告掲載が引き金になった、あるいは加速させたかもしれないが、それが息の根を止めたとは、私は思えません。ミニコミ誌は数多くありますし、自治会の新聞だってスポンサーを募っています。ヒエラルキーに照らせば、程度問題だと思います。
別にコメントしていますが、Web新聞、blogの活用など、メディアを活用すれば、もっと媒体として有効だし、愛読者もスポンサーも納得すると思うんですが、そのような方向では、考えられないのかな・・・。
PS.「オンライン諮問委員会」というような仕組みに関しては、パブリックコメントという制度が近いものだと思います。ただ、その意見をどのよう扱いどのように反映させるか、ちゃんと仕組みを作っておかないとスタートできないと思いますので、もう少し時間が必要かな・・・。
Posted by: Spock at March 21, 2004 12:11 AM