gooでアプリケーション型のRSSリーダー「goo RSSリーダー」を一昨日から公開した。ダウンロー数やRSSへのアクセスは期待以上です。
さて、
なぜgooがRSSリーダーを提供するのか?
なぜアプリケーション型でやるのか?
公にできることは、このくらいだが、他にも理由はある。
付け加えて言えるのは、RSSは今後のインターネットに大きな変革をもたらしつつあるから、そこにいち早く対応していくということだ。
仕事でソウルに行ってきた。今回は3回目のソウル。
夕食は、龍水山(YongSuSan)という韓国宮廷料理のレストランで、景福宮に近い三清洞店だった。夕食は、焼肉のつもりでいたので、じゃっかんがっかりしたが、食べてみたらとても美味しかった。おかゆ、野菜スープ、各種前菜、てんぷら、ちぢみ、ハンバーグ、蛤のお吸い物、ビビン麺、デザートのお菓子などなど。一つ一つの料理は、量は少ないけど、数が多いので、いろいろな味を楽しめ、お腹もいっぱいになる。
その後、徒歩でWine Barに行き、赤ワインを2本、全員(9人)で分け合った。どれほどのワインなのか分からなかったが、日頃飲んでいるものよりは高いに決まっている。いやー、これもうまかった。たまには高いワインも飲まないと。
宿は、ソウル・ロイヤルホテルで繁華街明洞にあるので観光や飲食にはとても便利。
というわけで寝る前にもう一軒。イエッコルという居酒屋のような店で、チヂミとビールやマッコリを頼んだ。マッコリうまい。龍水山では、庶民の酒であるマッコリは置いてないということだったが、たしかにこの店でもボール一杯の量で800円ほどなので安い。明洞で遅くまで飲むのにいい店だと思う。
翌日のお昼は、明洞で焼肉。大満足。
今や日本人は漬け物の中で最もキムチを食べるようになっているらしいが、韓国のキムチはフレッシュで美味しい。今回の韓国でも、行く店どこもカルビは美味しかった。お土産もキムチ。またソウルに焼肉とキムチを食べに行きたい。
小噴火の続いたあとの軽井沢は、火山灰でいたるところが白くなっていた。車も一晩で粉を振りかけたようになってしまった。旧軽井沢銀座は、朝散水車によって道路の火山灰を洗い流していたが、歩いていてもなんとなく火山灰を吸い込んでいるような気がして、事実唇をなめると口の中で「シャリッ」と明らかに火山灰を噛み砕く。
18日アウトレットの人では普段より少なかったとニュースが伝えていたが、19日は混んでいた。ただし、マスクで完全武装している人を何人も見かけた。そりゃ、肺に火山灰を吸い込むのはいい気分じゃないもんね。
さて、今回ははじめて軽井沢タリアセンを訪れた。
タリアセン・コーヒーは入り口で飲んだことがあるが、どうもタリアセン自体は面白くなさそうだったから入ったことが無かった。
まずは手漕ぎボートで遊んだ。今時スワンは多いけど、手漕ぎは珍しいかもしれない。自分自身も、もしかしたら小学生の時に漕いで以来かもしれない。なかなか左右同じようには漕げないので、真っすぐは進まない。でも足で漕ぐよりも楽なように思う。てなことで楽しんでいたら、手漕ぎボートで転覆したカップルがいた。深さはお腹くらいまでなので、大自体じゃないけど、汚い水に浸かってしまったのは大自体。あの後どうしたんだろう。
タリアセンでは、他にもパターゴルフや、ゴーカート、それにアーチェリーを楽しんだ。パターゴルフは11アンダー!才能あんのかな?昔取った杵柄は関係なく、夫婦共々アーチェリーのできは凡人並みであった。
まあのんびりできた半日だったけど、、、タリアセン・コーヒーだけで満足かもしれないな。
リビングで何か小さな音がするのでその方向を見上げると、エアコンから水が滴っていた。その下は水浸し。配水管が詰まったのか、それとも配水管の系統が劣化して水漏れしているのであろうか。まあ購入してから11年経っているから、寿命なのかもしれない。
猛暑が一段落した今の時期に壊れてくれたというのは、エアコンにしては心遣いがある。とはいえ、その晩は暑くてエアコンのお世話になっていたわけであるが。その後の毎日は秋の気候なので、助かっている。
我が家にはもう一台だけ、同時期に購入したエアコンがあるが、このエアコンでも水害にあっている。すでに2年前だが、壁の中を通している配水管が途中で外れ、壁の中が水浸し、そしてその水が部屋にしみ出していたのだ。その時は、なかなかしみ出している事自体気がつかず、おまけにエアコンのせいだとは分からず部屋の湿気を取り除こうとエアコンでドライで運転させていた。
さて、リビングのエアコンは、壊れたところを直そうと解説書をみるものの、対処方法は載っていないので、修理に出すか、買い直すしかなさそうだ。そこでふと分からないのは、秋口の今はエアコンの買い時なのかどうなのかということだ。素人考えでは、夏の前に製品を大量出荷するだろうから、その時期が品揃えが充実しているはずと思われる。価格は値引かないかもしれない。今の時期は、特に今年の猛暑の後だから、エアコンの在庫は乏しく、おまけに売れ筋の人気商品は売れきれているような気がする。人気のない売れ残りは安く手に入るのではないだろうか。
いったい正確なところはどうなんだろう。今買うべきか、来年の春まで待つのか、悩ましい。
高校卒業まで住んでいた福島県をはじめ山形県、宮城県では、秋の紅葉シーズンに芋煮会というアウトドアイベントがさまざまなグループでもようされる。
大学は仙台だったが、所属していたアーチェリー部でどこかの渓谷に出かけて、芋煮会をやった記憶がある。
中学のときには、学校の行事で、数人ずつの班に分かれて、阿武隈川の河川敷で行った。同窓会の名簿作りをやるぞ宣言のあと、押入れの奥から中学校の卒業アルバムを出してきて眺めると、その時の、まさに我が班の芋煮会料理中シーンが記録されていた。私も写っていたが、今もキャンプでは焚き火大好きを想像させるように、石で組んだかまどめがけて息を吹きかけている。
ところが事件はこの写真の後起こった。
作った料理は、カレー、ごはん、焼きそばという、全然芋煮じゃないじゃんコンビネーションだった。かまどは河原の石を組んで火を起こしていたのだが、なんと「パーン」という音とともにかまどの石が割れてしまったのだ。おいしいはずだったカレーは鍋とともにひっくり返り、誰も口にすることはできなかった。何事もなく料理を味わっている他の班の脇で、われわれは焼きそばに、パートナーを失ったご飯を混ぜて、焼きそば飯をいじけて食っていたのであった。
いつか芋煮会リベンジ!
『くねくね文字の行方』(椎名誠、角川文庫)の一文がうなずいてしまった。
思い起こせば、学生時代、遠足に代表される集団行動は嫌いだった。朝礼等でみんな同じ方向に同じ姿勢で整列するのが嫌い。人と同じことをやるのが嫌い。誰かが同じ方向に進めば、自分は違う方向に向かうような性格。これは今でも変わっていない。
こんな性格なのに、サラリーマンの閉鎖社会でルールやルーチンワークに従う分けないよなあ。(いや、もちろんやるべきことはやってるけど。)
サラリーマンとしてかなり嫌いなのは稟議だ。最近まで、その煩わしさのために嫌いなのだと思っていたが、椎名誠の文章を読んで気がついた。”閉鎖社会”のなかの非グローバルなルールに従うのは性格に合わないのだ。
うーむ、つくづくそう思う。
「小学校のときのソフトボールチームはKOsだった」で中学校の名簿作りを宣言したように、連絡先が分かる者を介して連絡先を集め始めている。まだまだ全同窓生の1割にも満たないが、懐かしい名前にも再会している。
今朝も、とても思い出深い方からメールをいただいた。たぶん高校卒業依頼の再会(まだメールだけなので再会ではないかな)だと思う。家族のことなど近況も詳しく書いていただいていたのも感激だ。記憶に残る面影は30年近く前で変わっていないが、同窓会で会ったら、「変わってないなあ」と、やはり感じることと思う。人間が内面に持つものは、年月を経てもそんなに大きく変わらず、皺が増えてもにじみ出てくるものは普遍だろう。同窓会を開く一つの目的は、「昔と変わってないよなあ~」というありきたりの言葉をお互いに掛け合う楽しさにあるように思う。
そして同窓会のもう一つの目的は、記憶の断片をもちより、過去の出来事を再構築する楽しさ。馬鹿なことや、失敗や、気恥ずかしくていえなかったことでも、今なら語りえる。まあ酒の肴に最高と言うわけだ。もちろん、それぞれこれまでの長い年月の間に体験した大変なこともあるだろう。そういうことは同窓会のひと時だけは忘れて、幼かった時代にタイムスリップしたい。
馬鹿なことをひとつ思い出した。一時、馬飛びが異常に流行った。男子だけではなく女子も一緒になって、思いっきりやったなあ…
というわけで、福島県伊達郡伊達町伊達中学校を昭和50年(1975年)卒業に卒業した人は私に連絡ください。家族、友人知人が、この年の卒業というかたは、私が同窓会の名簿作りをしていることをお伝えください。
よろしくお願いします。
これまで大阪には何度も行ったことがあったが、今回はじめて道頓堀界隈を散策した。
いやはや東京の繁華街と比べると異国のような雰囲気。写真に撮ったおなじみのアイテムとの遭遇も面白かった。阪神タイガースの優勝等の時にダイブで有名になった川は、上から覗くと夜でもその汚さがわかる。
千房というお好み焼き屋で生ビールを飲みながら焼きそばやお好み焼きを注文した。関西だから味は薄口かと思いきや、結構濃いい味でびっくり。でも美味しい。ところが「道頓堀スペシャル」というようなお好み焼きがある。ダイブの汚い川をイメージしてしまうなあ。
いやはやその2といえば、客引きの多さにびっくり。それに風俗の無料案内所が多いのにもびっくりだ。
日経新聞は、中国でペストによる死者が出たと報じている。
『ドゥームズデイ・ブック』(コニー・ウィリス)では中世イギリスのペストが重要な素材になっているように、ペストと言うと中世の病気であり現代とは無縁のように思い込んでいたが、まだまだ全世界で発症者は出ているようだ。
WHOのまとめでは、1999年、世界のペスト患者数は約2600人、死者は212人。ちなみに、日本では1926年以降患者は見つかっていないらしい。しかし、ペストはノミを介して広まるのが、ネズミではなくペットとして輸入される動物にも注意しなければならないようだ。