March 30, 2004

SPAMに白旗、メールアドレス替えます

いくらSPAMやウィルスメールに肝要でも、1日に3桁のノイズが届くと閉口してしまう。
ということで、プライベートでやり取りするメールアドレスを変更します。ninomiya@pobox.comとは7~8年の付き合いだったかなあ。名残惜しいけど、捨てメールアドレス化。さようならー。
もちろん、このメールアドレスも受信は続け、徐々にお知らせしていきます。

March 29, 2004

チョコままどおる

福島県の銘菓のなかでとても好きなのが三万石(昔は三万石不二家という社名じゃなかった?)の「ままどおる」

「ままどおる」はスペイン語で“お乳を飲む人々”。 ミルクとバターをたっぷり使って、しっとりまろやかに仕上げました。 母から子へ受け継がれるやさしい味わい…。 世代を問わず愛されるおいしさです。 ※昭和42年発売以来の三万石の代表的銘菓

確かに世代を問わず愛してます。昭和42年といえば、私は小学校2年生。昔、ままどおるはもっと大きかったような気がするのだが、逆に自分が小さかったということかな。
そして、ままどおるでも、「チョコままどおる」の方が大好き。チョコレートの味が強すぎず、ほどよい加減になっている。販売は10月〜5月の季節限定とは知らなかった。
今回送ってくれた姉に感謝。

チョコままどおる

March 28, 2004

スケジュールなしの人生

朝日新聞「私がいる時間」、91才の画家・書家の篠田桃紅という方のインタビュー記事から。

そもそもスケジュールなしの人生っていうのが私のモットーで、これまで時間割りの通り、お行儀よくは歩いてきませんでした。予定があるために、自分というものがふさがれているのはさびしくて。 その日わいた「いい思い」を、すぐ形にできないのは、実に不自由なことです。

芸術家なので納得する生き方だけど、行儀の悪い人生に切り替えていきたい。

March 27, 2004

FORTRAN

電車のなかで、学生らしい二人の会話が聞こえてきた。
授業でどんな言語を学んでいるかというような話だったが、一人はC++、JAVAを勉強してると言ってる。もう一人は、FORTRANだそうだ。「FORTRANって、何に?」という質問に、「計算には強いらしい」という回答だった。
今やFORTRANを使うのは学術的な計算をするようなものだけなんじゃないだろうか。

大学のときFORTRANの授業があったが取らなかった。しかし、受けていた同級生のIDとパスワードを借り、大学の計算センターに入り、TSSの端末からFORTRANを使ったのが最初の出会いだった。
社会人2年目、電算(当時はITなんて言葉は無かったな)の長期研修で情報システム部門に派遣された。土木の設計製図システムやFEM(有限要素解析)のシステムを開発運用しているチームで、私も派遣2ヶ月目から、たしか1ヶ月間でボックスカルバートの自動製図プログラムを一気に書き上げた。プログラムは、3,000行ぐらいだったのを記憶している。自動製図はプロッタのペンの動きを命令するプログラムなので複雑な計算はないが、FORTRANもいわば一からでできたのは自身になった。

今は、たまにPHPを書くこともあるが、基本的にプログラミングは好きだ。プログラミングも、ものづくりのひとつかな。

March 25, 2004

はてなダイアリーがping送信を実装

本日、はてなダイアリーがping送信機能を実装した。
これにより、一気にgoo BLOGに届くping数が増えたようだ。

気になるのは、ping先についてユーザは選択できない点。
数箇所にまとめてpingするか、全くpingしないかを選ぶしかないのだ。
pingサーバーは、テーマなどによって分かれていく可能性もあるし、どこにpingするか選択の自由があっても良いのではないでしょうか。

March 24, 2004

江角問題と、菅代表と、BLOG

江角マキコが国民年金を払っていなかった問題ではBLOGでもかなり意見が書かれている(BLOGでの検索結果)が、民主党はその意見を参考にしたほうがいい。
BLOGでの論調は、江角マキコ批判は強くない。むしろ、民主党の菅代表が国会に参考人招致すべきとした発言に対する批判が多くなっている。自民党をたたく材料として江角マキコをつるし上げるなんてことはせずに、本質的なところの議論をしろというのだ。当然だろう。
マスメディアも民主党対自民党の対決にシフトしないで、本来の問題である国民年金についてより掘り下げるべきではないだろうか。

この話題は、マスメディアと世論の乖離を知ることができる格好の事例ですなあ。

March 22, 2004

45才からのマンツーマンIT講習

デジタルハリウッドが、45才以上を対象としたマンツーマンのIT講習プログラムをはじめたそうだ。

私は、少なくとも5月までは受講できない、、、そんなことはどうでもいい。

杉山友之デジハリ学校長からの45才以上に向けたメッセージがいい。


今や、人類は、数々の知恵を集積し、本当に100歳を越えて生きることが、当たり前に想定できるようになった。20年後の世界では、現在の医療レベルを遥かに越えてしまう。その医療を受ける私たちは、45から55歳あたりに、人生の折り返しポイントがあるのだ。100歳になって、体が少し不自由でも、サイバースペースの中で、世界中の知恵を自由に利用し、世界中の誰とでも、アイデアのやりとりができ、年齢や性別にも縛られずに、自分が存在できるとしたら、信じられないほどビビットで、ダイナミックな人生をそこに展開できる。それを可能とするのが「デジタルコミュニケーション力」だ。自分の言いたいことを、デジタルで表現すれば、それはネットを通じて、誰にでも見てもらえるものになる。そう、私たちは、まったく新しい力を持つ、読み書き能力を身につけることができる最初の世代なのだ。

(しつこいけど)45才以上だから、私は対象外だよなあ。

March 18, 2004

『暇つぶしの時代』(橘川幸夫)

最近私が考えていることを代弁してくれたような本に巡り会ってしまった。

大量生産の合理的なシステムを追求する限り、情報化社会が進めば進むほど、システムの独自性というものは無意味になってくる。僕は、「成熟化した工業社会」に対して、生産(モノヅクリ)を目的とした社会労働の上部構造に、「遊びのような仕事」「仕事のような遊び」といった、社会労働と個人の時間の消費が一体となった社会イメージを持つ。

第二次産業は中国にますますシフトしていっている以上、日本が世界の工場の座を奪い返せるとは思えない。では日本の目指す姿はどこなのか?リストラによって職を失った中高年はどうすればよいのか?その回答が「遊びのような仕事」「仕事のような遊び」だと思うのだ。

どのようにモノを作るのか、お客さんがどんな顔をして買っていくのか……などということにはまるで関心の無い、売上高と経常利益だけに関心を持つプロの企業統治者が増えた。日本の現状の出口の見えない閉塞感は、こうした「管理する喜び」しか感じない人間たちが企業や組織のトップにいるからだと、僕は思っている。

企業統治者とモノヅクリのプロの戦いは、企業統治者が勝利し、街には敗者であるモノヅクリ(コトヅクリ)のプロが溢れている。しかし、日本はこの閉塞感から抜け出し、新たな社会に漕ぎ出すことができるのだ。

これから仕事をするなら、選択する方向は2つしかない。ひたすら企業規模を拡大して「組織を監理する喜び」を持つ方向か、オーナーシェフ型の経営を行い、自らが「作る喜び・売る喜び」を体現しながら生きていくか。どちらが正しいとは言えない。ただし、中途半端な形態はあり得ない、ということだけは肝に銘じておくべきだと思う。

私は後者を選ぶ。
農耕民族にあってると思わない?楽しそうだと思わない?

暇つぶしの時代-さよなら競争社会
橘川 幸夫

March 15, 2004

『はがき三行革命』

朝日新聞夕刊「おとなの時間」というコーナーで、『はがき三行革命』という本が紹介されている。仙台中央郵便局長だった竹内廣という方のエッセイをまとめたものらしい。

竹内さんは名刺を交換した人に、その日のうちにはがきを書く。わずか3行で心をつなぐ、と「はがきの三行革命」を説き、多くの人と「郵情」をあたためてきた。

私はささやかながら、メールを頂けば返事は書くようにしている。ブログにコメントを頂けば、コメントを返すように心がけています。(もし実践してないというお叱りメールがあれば必ず返信します。)手軽にできるメールやブログだからこそ、疎かにはできないと感じます。

March 09, 2004

息子が少年野球をはじめた

友達が先に入ったので触発されたのか、最大の理由は不明だが、息子が急に少年野球の地元チームに入団(入部?)した。
すでに同級生は10名以上参加していて、早ければ1年生から入っているから、ろくにキャッチボールもできない息子としてみれば、かなりのチャレンジだ。

先週末、とりあえず見学させてもらい、練習内容を分かった上で判断させようとしたが、一緒にやらないか声をかけられ、まさに飛んでいって1, 2年生と一緒にキャッチボールに参加させてもらった。
とても寒い中、4時間ほど参加したけど、終わったあとには意思は決まったようだった。翌日の日曜には、正式に申し込みユニホームもお願いしてしまった。

全国制覇を目指すという意気込みがあるチームだけあって、低学年といえどキャッチボールからしてレギュラーはすごい玉を投げ合っていた。フォーメーションの練習では、まずいプレーには容赦なく檄が飛び本気だ。

息子にとってはレギュラーになるどころか、練習についていけるのか親としては心配だが、本人のやる気は大切にしてやらなければと考えている。

NHK「セサミストリート」終了

「渡辺美里 BLOG★トリビアNEWS」で知ったのだが、NHK教育テレビの「セサミストリート」が終了するらしい。

ちょうど中学で英語を習いはじめる時期から番組はスタートしていたようで、英語は分からなくても英語への興味と、番組自体の面白さで時々見ていた。今のように日本語吹き替えはなかった。アルファベットや数字を歌と一緒に覚えようというコーナーは特に印象に残っている。
キャラクターも数多く生まれたけど、好きなのはアニーバート。漫才のようなやり取りは、彼らの声とあいまって楽しかった。

放映が終わるとなると、テーマパークである「東京セサミプレイス」やキャラクタビジネスに影響が大きいような気がする。スカパーなんかでどこかが引継ぐということはないのだろうか。

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March 03, 2004

そろばんとポール・モーリア

小学3年生から小学6年のはじめまでそろばんを習っていた。なぜ習い始めたのか記憶にないが、たぶん同級生が習っていて自分もということではじめただろう。
あすなろ珠算研究会(同じ町にはもう無いが、隣町瀬上にはまだあるようだ)という塾で、農家の離れのような建物で運営されていた。先生は菅野さんという桑折町伊達崎にお住まいの方だった。当時30才代前半かな、熱意をもって指導してくれるとてもいい先生だった。小学校でフナの解剖をやるとき、何匹も捕まえて提供してくれた、なんてえこともあった。
そろばんの方は、5年生まではそれなりにがんばって、福島県北大会では入賞して賞状ももらった。塾ではレベルが高くなるにしたがって遅い時間のクラスになるが、いつしか一番最後のクラスに入っていた。ちょっと離れたところから通ってくる生徒がおり、先生も隣町から通ってくるので、最後のクラスが終わると遠くの生徒は車で送ってくれた。私は近いところに住んでいたのにいつも乗せてもらっていたと思う。普段乗れない車に乗れるのがうれしかったからだったからに違いない。先生の車には8トラックのデッキがついていて、送ってくれるときにはそれで音楽を聴く。その音楽の中で一番好きだったのが、ポール・モーリアの「恋はみずいろ」であった。送ってもらう度に聞いていたように思う。
いろいろ自分なりの理由があって6年生になると塾はやめてしまった。大会を前にした時期だったはずで、先生には大変申し訳無く思っている。ポール・モーリアの優しい調べとすばらしい先生のイメージがリンクして記憶に焼きついている。

March 02, 2004

久留里、勝浦、大多喜

勝浦への一泊旅行。

久留里は井戸が多い町らしい。ガイドブックの通り、だれでも利用できる井戸には列ができていた。
名水をおいしい酒にする酒蔵もいくつかある。そのなかの吉崎酒造を覗いてみた。思った以上に種類が多いので、迷ったが宿で夜飲むために2本購入。寝る前に飲んでみたが、何かものたりない。酒がおいしくないと言うわけじゃなく、日本酒は食事と一緒の方が良かったかな。
その前の夕食では、BSEの影響か肉料理が少ない。でも、そこは勝浦。もうカツオが入っているようで、刺身はとてもおいしかった。

29日は朝から雨模様なので、有名な勝浦の朝市観光も中止し、早々と帰ることにした。結局勝浦の市街地には近づかなかった。
大多喜街道のところどころでは、早くも筍が売られている。道の駅に入ってみると、小さな筍が3本で1,500円ぐらいであった。おいしそうだけどね、高い。
唯一観光らしく、「ハーブアイランド・ハーブガーデン」を散策した。ここには数年前にも訪れたが、その時も同じ時期だったのでハーブが茂ってはいない。もちろん温室内では花を咲かせるものもある。ひときわ目立つのはミモザの花で、とてもきれいに咲いていた。

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