September 05, 2007

『信長と消えた家臣たち―失脚・粛清・謀反』(谷口 克広)

この本は題名の通り、織田信長の天下統一に加わったものの主に排除されていった多くの家臣たちを紹介したものだ。「泣かぬなら殺してしまえ」の言葉通り、実にたくさんの武士が殺された。天下統一を目前とした時代において忠実に従う家臣を持ったもが有利なのであろう。些細な失敗を許されずに粛清されたもの、上杉や武田など敵に寝返ったものなどには容赦しない。子供や女性を含めた一族を抹殺された家もあった。そういう厳しさを見せられていたから明智光秀は本能寺で織田信長を討とうと決心したのではないだろうか。(ちなみに光秀はそのとき70才近かかったらしい。ドラマ等で作られたイメージとは違う。)その本能寺のあと、豊臣秀吉は光秀に加わった者のほとんどに寛大だった。信長がほぼ作り上げた天下を引き継ぐ分にはそれで良かったかもしれないけど、その寛大さが徳川に破れてしまう結果につながったように思ってしまう。




"信長と消えた家臣たち―失脚・粛清・謀反 (中公新書 1907)" (谷口 克広)

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